ポケモンGO狂想曲3

8月2日付け読売新聞に出た、「ポケモンGO現象」をどう見るという記事。
三者の識者の意見のうち、もう一つの意見も私の目を引いた。
恵泉女学院大教授、武田徹氏の意見だ。意見を次に引用する。

世界的ブームの背景には、組み合わせの妙がある。
技術面では、「スマートフォンの位置情報」と、「実際の風景にデジタル画像を組み合わせて表示する拡張現実(AR)を使い、現実と仮想の世界を融合させた。そこに任天堂が約20年前に発売し、大ヒットさせた「ポケットモンスターを載せた。
「位置情報」や「AR」を使ったゲームは既に作られていた。だが、ポケモンという「文化資産」や、昆虫採集のようにモンスターの獲得数を競う喜びが魅力を大きくした。
一方で倫理的問題も出てきた。利用者は、ポケモンを発見できる場所へ誘導される。人々を誘導したいと思っている側にとっては、いい手段ができたと言える。店が販売促進に生かしたり、観光地へ誘導したりするなどの経済効果も期待される。
だが、それは両刃の剣でもある。ゲーム会社が場所を選ぶ基準が分からないからだ。スポンサーになってくれるなら政治団体や宗教団体の動員にも協力するのか、など不安も伴う。
こうした問題の解決を一企業に委ねていいとは思えない。公共空間で遊ぶゲームのあり方については、公共性、公益性の判断が必要だ。そのためにはより開かれた意見交換が望まれる。
技術と人との関わり方も問われる。夢中になってゲームをする「歩きスマホ」の危険が繰り返し指摘され、実際に事故も起きている。実は、スマホの画面を見なくてもゲームはできる。だが、歩きながらやりたくなるのも人情だ。ならば、歩きながら遊べないように安全設計を施せという意見もあるだろう。しかし、規制が行きすぎると、副作用も出てくる。
日本は、悪いことができないように機械を作る傾向がある。例えば、通信事業会社は、盗撮防止のため、スマホのカメラのシャッター音を消せない仕様にしてきた。その結果、静けさが求められる場所でもシャッター音が鳴り響き、雰囲気を台無しにしたりする。だが、海外ではシャッター音を消すかどうかは、使う人がその時々に選ぶ。
人間と機械のあり方をどう考えるかの違いだ。過保護になりすぎると、使い手側の判断力を成熟させる機会を閉ざす恐れがある。
位置情報やARは、ゲームとどまらず、今後、街案内、スポーツ観戦、商品紹介など様々な領域に応用されていく。新たな文明が生まれてくる。
そういう時代を生きていくには、技術を社会がどのように受け入れるのか、倫理的な問題なども含めて皆で考える必要がある。

この意見に対する、私の感想は次回で。