右か左か?14

たとえば、アサガオのツルの巻き方を、ネジやバネのラセンパターンと同じとの理由で、right-handedと判定した場合、right-handedには、clockwise、つまり右回りとの意味の関連付けがなされてしまっているので、ツルの成長を上から観察する植物学者には、到底受け入れがたい判定となる。
もともと、運動の方向性とは無関係のright-hand(ed)/left-hand(ed)を、運動の方向性を表すclockwise/counterclockwiseと関連付けてしまったために起こった混乱だ。
運動の方向性で、あるものの形状を判定するというのは、運動をどの視点から見るかで、まったく異なるから混乱するのは当然だ。
混乱を収めるには、ロープの撚りかたを区別するS laid/Z laid(S撚り/Z撚り)を植物のつるの区別にも援用して、右または左の判断を持ち込まない判定法に変えればよい。
そうはいってもそれぞれの学者の面子がかかっているのか、右か左かの論争はまだまだ続きそうだ。
ところで、clockwiseがrightと関連付けられたのは、日時計から機械式の時計に切り替わった10世紀の頃だ。そして、今の時代にも続く、時計回りが右回りとする根拠ともなっている。
この時計回りというのが、今言うところの時計回りであることは、そもそも必然的なことであったのだろうか。
日時計の起源がエジプト、つまり北半球にあり、その後、日時計が普及した西欧も全て北半球に位置するため、日時計の影の移動の仕方は同じだという説明がなされることがある。

ところが、機械式の時計がヨーロッパで発明された頃、その同じヨーロッパで普及していた日時計は、垂直式と呼ばれるもので、教会などの高い建物の南壁にかけて、一般の人たちに時刻を知らせていた。つまり、時計台の役割をしていたわけだ。
この垂直式の影の移動の仕方は、現在で言うところの左回りになる。
しかし、その影は午前中は、西方向にあったものが、時間とともに東方向に移っていくから、ラテン語のdexterの意味である、to the rightは水平式日時計と同じように、その影の動きにも当てはめることができる。
したがって、もし機械式時計の針の回り方が、垂直式の日時計を参考に作られていたら、時計回り(clockwise)というのは、今のとは逆回りのことを意味し、しかも、それが右回りとされていたはずだ。
その場合でも、ねじのright-hand threadは、やはり、clockwiseと、無理やりこじつけられたに違いない。
となると、植物学者のつたの巻きかたの判定と、ネジのラセンの判定には、矛盾が生じることもなく、洋の東西を問わず、今あるような、論争、混乱はおきなかっただろう。
その一方で、貝の右巻きと左巻きの判定は、貝が成長する時に、下方向にラセン形を形成していくため、右巻き、左巻きの判定が、ネジの場合のちょうど逆になってしまい、貝の研究者とその他分野の科学者との間で、右と左に関する論争になってしまったと考えられる。