赤ちゃんの泣き声=ただの雑音2

子犬や子猫の世話をすることで、感じ方が変化したことがもうひとつある。
子犬や子猫は腹を空かせると,食べ物を求めて泣き声をあげる。しかし、泣き声をあげるのは、そのときだけではない。
もう十分、ミルクを飲み、または食べ物を食べた後でも,世話をしている私の姿が見えなくなってしばらくすると,子犬ならクーンクーンと、子猫ならミャーミャーと泣き出す。
自分を保護してくれる者が居なくなった寂しさから、子犬や子猫はそれを求めて泣くのだ。
そして、私には、それが寂しさから泣いているのだと分かるようになった。
私が野犬の子犬や野良猫の子猫の保護を始めたのは,50歳を過ぎてからのこと。
それまでの私には、子犬や子猫の泣き声も,人間の赤ん坊の泣き声と同様にただの雑音に過ぎなかった。
次の画像は、読売新聞のコラムをそのまま取り込んだもの。
歌人水落博は、現在81歳。この歌を詠んだ若き日に、捨て犬の立場に立った寂寥というものを初めて知ったようだ。
実は、私は十代の終わりから二十歳ごろにかけて,詩や短歌,俳句などを作っていた。
しかし、他者に対する共感も,ましてや子犬の立場に立った寂寥など感じるような情感豊かな人間ではなかった。
そんな情感に乏しい人間に、画像にあるような短歌が詠めるわけがない。


まあ、この短歌の作者よりかなり遅くはなったが,今はこの短歌の意味が共感をもって理解できる。
男性脳というのは、経験の積み重ねによってのみ,他者への共感や,思いやりを持つようになれるのかもしれない。