昨日のNHK朝ドラで、早稲田大学の応援団の歌が誕生したいきさつをやっていた。
主人公古山裕一(モデルは古関裕而)に新しい応援団の曲を作るよう依頼するも一向に出来上がらない。
切羽詰って団長が自分が応援に賭ける思いを必死で伝えたところ、これが主人公の心に届き、一気に曲が出来上がるという話。
野球の試合に応援団はつき物。応援団でなくとも野球場で実際の試合を見る人はひいきのチームを応援することで、ある種の一体感を感じるのだろう。
このドラマを見ていて、私が大学生だったころのある出来事を思い出した。
私が通っていた大学(以下C大と表す)にも野球部はあった。東京六大学ではなかったが、関東のあるリーグに所属していてなかなか強かったようだ。
そしてある年にリーグ優勝を果たした。
しかし野球部や応援団がリーグ優勝で盛り上がっているのとは対照的に一般の学生の反応は冷ややかなもの。まるで関心がない。
この大学の学生は私も含めて、大学スポーツにはあまり関心がなかったようで、何かの大会で運動部が優勝したといって、それが話題になる事はついぞなかったと思う。
リーグ優勝を果たした野球部が次に戦うのは、大学選手権試合。
全国の各リーグ戦の優勝校と準優勝校が参加するこの大会はまさしく大学日本一を決める大会だ。
C大野球部は順調に勝ち上がって行った。それでも一般の学生の反応はイマイチ。
準決勝だったと思うが、相手は六大学リーグで優勝したチーム。六大学の試合は、それぞれの応援団の応援合戦も華やかで、一般の学生の応援も人数が多く、たいていは神宮球場が満員となる。
その六大学チームと対戦するにあたり、応援団が危機意識を持った。
何しろC大学の一般学生は神宮球場などに足を運ばない。
大学選手権の試合でも、C大学側の観客はまばら。そんな事では六大学校との応援合戦で勝てるはずがないと思ったのだろう。応援団員が大学のキャンパスで演説を始めた。
「来る準決勝で、わがC大学野球部は○○大学野球部と戦う事になりました。相手は六大学の一つです。応援に駆けつける一般学生の数も多く、その数は一万人を超えると思われます。一万人と一口に言っても」
とここで、この応援団員は一呼吸を置いて言葉を継いだ。
「大勢です」。
「一万人と一口に言っても」の後にどんな言葉を言うのだろうと私は思ったが、たぶんキャンパス内のほかの学生同じだったのだろう。
「大勢です」の言葉にキャンパス内に失笑がかなりの音量で起きた。
応援団員は、多くの一般学生が神宮球場に足を運び、応援合戦でも対向したいと思ったのだろうが不発に終わった。
ところが、C大野球部はこの準決勝にも勝利し、決勝へと駒を進めたのだ。
決勝の相手はどの大学だったかは忘れたが、決勝戦にまで勝ち進むとは一般の学生のほとんどが予想していなかったと思う。
そして、その決勝戦。C大学側の観客席はやはり空席がかなりあったらしい。
そんな状況にまたも応援団員がキャンパスで演説を始めた。
「わがC大学野球部は、今まさに決勝戦を戦っています。しかし応援合戦で遅れを取っています。なにとぞ皆様の応援を仰ぎたいと思います。神宮球場までの直行バスをチャーターしました。
なにとぞなにとぞ野球部のため応援をお願いします」
応援団員の必死の願いが通じたのだろう。キャンパスにいた一般学生が次々とこのチャーターバスに乗り、神宮球場に向かった。
空席が多かったC大学側の観客席はあっという間に満席になった。
しかし、普段から応援などしたことのないC大学生の応援はてんでばらばら。
それでも、過去に例のない大応援団の出現に、選手も応援団員も驚きと感激を同時に感じたらしい。
「らしい」というのは、私はその場にいなかったから。上記の話も応援に駆けつけた学生から、後日、聞いたことを基にしている。
普段はあまり関心がなくても、あるきっかけで俄かファンになり、応援で盛り上がるというのはほとんどの日本人に当てはまるようだ。
少し前にラグビーで、同じような事があった。日本チームの快進撃に俄かラグビーファンが増え、日本チームの応援に熱を上げた人も多かった。
NHKの朝ドラは、そうした事を思い出せるのに十分なストーリーだった。