知性が大事45

私はジョージが仕掛けてきたテストに合格したようだ。
しかしそもそもなんだってジョージはこちらの知能程度を測るような行動に出たのだろうか。
これは推測だが、ジョージは父親のテッドから私に関する事前の情報を得ていたのだと思う。
日本からやって来て、自分(テッド)が新しく赴任した高校で授業をしている人物がなかなかの知識人らしい。一度会ってみるかなどとジョージに言ったのかもしれない。
こう思うのは、テッドが私を彼のうちに来ないかと誘ったときに、自分の家族に会わせたいといっていたからだ。この自分の家族というのは、ジョージの事を指していたのだろう。
私のことを父親から先のような形で知らされたジョージは、一種の対抗心を燃やして、トリックを仕掛けてきたと考えればつじつまは合う。
何しろ、最初のトリックのときには、テッドも同席していて、ジョージがトリックを仕掛けているのを笑って見ていたのだ。そうなることをテッドは予測していたし、またテッド自身も噂の真実のほどを確かめたかったのかもしれない。
それでは、なぜテッドは私をジョージに引き合わせたかったのだろうか。
これも推測に過ぎないが、テッドは息子のジョージのあることに関する考え方を変えたかったのだと思う。
あることとは、有体に言ってしまうと人種に関する偏見だ。
オーストラリアの公立高校は、いわゆる能力別学級になっている。日本のように公立校だからといって、見せ掛けだけ平等の、どのクラスも同じ学力程度にするなどということはしない。
学力編成はAクラスが最上位で、以下Fクラスまであったように思う。
また、オーストラリアでは、先住民族アボリジニーを同化および教育機会均等政策に基づき公立高校で受け入れている。
この同化政策というやつが聞こえはいいが、そのポリシーとは逆にアボリジニーに対する差別や偏見を助長しかねない側面があるのだ。
というのも、能力別編成になっている最下層クラスにほぼすべてのアボリジニーが属しているからだ。
私が教えていたカタンニン高校では、上から三番目のCクラスでも、一人のアボリジニーの生徒も属していなかった。
一方、Aクラスの生徒は当然ながら,全員が白人の生徒。他のクラスと違い、圧倒的に人数が少ない。全校生徒に対する割合で言えば、1割にも満たない数だ。
しかし、将来、オーストラリアの頭脳を担うのは,こうした一握りの頭のいい生徒たちなのだ。
このAクラスに所属する生徒たちと最下層のFクラスのアボリジニーに交流はあるのかといえば、多分ないのだと思う。
白豪主義の看板は下ろしても,実態はまだまだ人種偏見が残るオーストラリア。同化政策を実行に移しても、かえってそれが新しい世代の間での人種偏見につながっていくとすれば皮肉なことだ。
ジョージは、パース大学工学部の学生だ。彼が高校時代にAクラスであったことはほぼ間違いない。
そのジョージの人種に関する考えに偏りがあったとすれば,テッドがこれを正しておかなければならないと思っても不思議ではない。
どうやら、私はその当て馬に採用されたらしい。