究極の一心同体

前回の記事で取り上げた「生き物の死に様」の別の記事、「メスに寄生し、放精後はメスに吸収されるオス」では、チョウチンアンコウが取り上げられている。

深海魚であるチョウチンアンコウ。独特の体形のため、その名を知る人は多いだろう。しかし、その生態はほとんどが謎のままだという。

深海に住んでいるため、生態の調査が困難なためだ。

このチョウチンアンコウのある生態が少しだけ解明されている。

その生態とはオスとメスの関係。その事に関する記述を同書から引用してみる。

かつて、チョウチンアンコウの死体の調査が行われたとき、チョウチンアンコウの巨大な体についた小さな虫のような生き物が発見された。

不思議なことに、その小さな虫のような生き物の死体は、チョウチンアンコウの体の一部であるかのように一体化していた。この奇妙な生き物は、当初は、寄生虫かとも考えられたが、調査が進むにつれて驚くべきことが明らかになった。

寄生虫のように体についていた小さな生き物は、あろうことか、チョウチンアンコウのオスだったのである。

(中略)

チョウチンアンコウのオスは、メスに体に噛みついてくっつき、吸血鬼のようにメスの体から血液を吸収して、栄養分をもらって暮らすのである。本当に寄生虫のような存在なのだ。

(中略)

メスの体からオスの体に血液が流れるようになれば、餌を獲る必要なないので内臓も退化する。そして、メスの体と同化しながら、子孫を残すため精巣だけを異様に発達させていく。価値あるものは、精巣だけというありさまなのだ。まさに、精子を作るためだけの道具と成り果ててしまうのである。

チョウチンアンコウのオスは、受精のための精子を放出してしまえば、もう用無しになる。もはやひれもなく、眼もなく、内臓もない体である。

そして「ずっと一緒」と約束したオスは、静かにメスの体と一体化してゆくのである。

いやはや、何たるオスの一生。表現するための言葉が見つからない。

「偕老同穴」という言葉を知っているだろうか。

中国の故事に由来するこの言葉は、簡単に言うと「死んだ後も同じ墓に入りましょう」という意味。

カイロウドウケツとカタカナで書けば、これはある海綿生物の名前となる。

カイロウドウケツにはある種のエビがオスとメスがペアで同居していて、この同居が死ぬまで続くことから、同居先の海綿に中国故事に由来する名前がつけられた。

しかし、エビが死ぬまで一緒だとしても一心同体とはいえない。

その点、チョウチンアンコウのメスとの一体化振りは、他の追随を許さないだろう。

このチョウチンアンコウのオスとメスのあり方。生物学的にいうと、生き残り戦略として、十分に納得のいくものらしい。

同書の、この章最後にこうある。

メスは子孫を生む存在である。そして、オスは繁殖を補う存在として作られたのだ。そもそも、すべての生物にとってオスは、メスが子孫を残すためのパートナーでしかない。誤解を恐れずに言えば、生物学的には、すべてのオスはメスに精子を与えるためだけの存在なのだ。

チョウチンアンコウのオス、一切の無駄を省いたその生き様、死に様に拍手を送ろう。