Bury the Head in the Sand3

日本人の危機意識の希薄さを象徴する最近の事例の一つが、各地での鳥インフルエンザ発生だ。
養鶏業を営む人たちにとって、鳥インフルエンザの発生は恐るべき事態であろう。
何しろ、一羽でも鶏舎内の鶏が感染していると分かるや、その飼育鶏舎のみならずその付近すべての鶏舎の鶏を殺処分しなければならないのだから、致命的打撃となる。
そして、発生地の半径10km以内にある鶏舎すべての鶏はもちろん、その関連生産物すべての移動も禁止されるから、他の養鶏業者にまで影響が及ぶ。
それほどの深刻な事態を招くと分かっていながら、鳥インフルエンザに対して個人はもちろん、業界としてどれだけの対策を取ってきたのであろうか。
今回の事態は、すでに2008年の春あたりから予兆があったのだ。
その予兆とは、日本各地の白鳥の飛来地で、死んだ白鳥が見つかり、その体内から鳥インフルエンザが発見されるというものだった。
春は、白鳥などの冬鳥が営巣地のシベリアに帰る時期であり、このことは、シベリアまで、ウイルスを持ち帰る渡り鳥がいる可能性を示唆している。
営巣地では、同じ種類の鳥がかなり密度高く集まり、同じ時期に子育てを行う。
このことは、もし営巣地にウイルスが持ち込まれれば、いっぺんで、たくさんの鳥たちの間にウイルスが蔓延することを意味している。
そうした事態はちょっと想像力を働かせれば、簡単に予想が立つことなのだが、悪いことを考えないようにしている日本人には、およそ想像の埒外のことらしい。
最後の警告は、去年10月26日に発生した。北海道稚内市で、野鳥のフンから鳥インフルエンザが発見されたのだ。
フンの回収自体は、ウイルス発見に先立つ10月14日で、野鳥の死骸は見つからなかったから、感染した鳥そのものは、ウイルス発見の時点ですでに南に飛び去ったものと見られる。
どんなに想像力の欠如したものでも、これがどういうことを意味するのか想像がつきそうなものなのに、政府はもちろん、マスコミも反応は、遠く離れた地方での小さな出来事扱い。
養鶏業者には、その深刻さが分かると思いきや、新聞などでの報道を見る限り、何の反応も示していない。
英語に"worst case scenario"というフレーズがある。危機管理に関しては、最悪の事態を想定し、それに対処する方策をあらかじめ考え、実行に移すことが大事であることを意味する言葉なのだが、日本人にはこのworst caseをあらかじめ想定する想像力に決定的に欠けている。
したがって、実際に最悪の事態が発生した場合、たいてい関係者が口にする言葉が、「想定外の事態」である。
最悪の事態を、ほんのちょっとした小さな出来事から想像するには、小さい頃からの訓練が必要だ。そうした想像力を育てるどころか、それを押しつぶすようにするのが日本の文化の体質である。
そして、災厄の可能性を考えないようにする考え方を英語で言うところの"positive thinking"と同一視している。つまり、むしろほめるべき思考方法というわけだ。
日本人の英語音痴ぶりは英語を話す人間のメンタリティーもうまく理解できないという形でも、遺憾なく発揮されるようだ。
上記のような精神風土の中で育つため、およそほとんどすべての日本人は、さまざまな災厄に対する危機意識が乏しいままとなる。