一瞬の邂逅

昨日の日曜日、兄弟犬の里親探しをしたうちの一匹、コウキの正式譲渡契約を結びに、K市まで出かけた。
前回、コウキの里親宅を訪れるため出かけたときも、家がなかなか見つからず、かなり迷ったが、今回、また道を間違えて、通りかかったコンビニで道を聞ことにした。
コンビニの駐車場に車を止め、店に入ろうとしたら、入り口のすぐ近く地面に、飛べずにもがいている小鳥がいた。
ウグイス色の地色のほか、黄色や赤い部分もあるきれいな鳥だ。拾い上げてみると、すでに体温が下がっていて、ひんやりした感触であった。
羽に汚れ等はなく、外傷があるわけでもない。飛べなくなった理由で思い当たるのは、ガラスの壁面に激突したことによる内臓や脊髄の損傷だ。
一時の脳震盪だけのことなら、時間が経てば回復して、また何事もなかったように飛べるだろうが、ガラス面への激突は、小鳥が命を落とす原因の一つで、体温低下が重大な損傷であることを示していた。
契約の時間があるので、どうしようか迷ったが、そのまま路上に放置したら、体温低下だけでも命を落とすことになるので、路上に放置しないで、左手に小鳥を持ったまま、コンビニで道を聞き、そのままで車まで戻って、里親さんのお宅まで、車を運転した。
手の平で、小鳥の心臓が脈打つのが感じられたが、その命はまさに消えようとしているようで、小鳥の目は、だんだんとうつろになっていった。
里親さんのお宅に着いたとき、まだ少し息はあったが、事切れるのは時間の問題と思われた。

  • 死んでしまった小鳥(2011年4月24日撮影)


案の定、契約を終えて、車に戻ったとき、小鳥はもうびくりとも動かなくなっていた。
命の火が消えるときに立会うのは、それがどんなに小さな生き物であっても、またこの小鳥のように、単に行きずりの動物の場合でも、辛く切ない。
小鳥の体を持ってみても、もうそれは命ある生き物の感触ではなく、単なる物体のそれであった。
なぜか生きているときより、体が少し軽くなっているような気がした。
家まで連れて帰り、次の日に火葬にすることにした。
空を飛ぶ鳥にはふさわしい始末のつけ方だと思うからだ。