ゼロの神話2

大学進学後も、航空機、それも戦闘機に対する興味は続いていて、東京で下宿生活を始めた時も、本棚の一角を世界の傑作機シリーズが占めていた。
飛行機が好きだからといって、それに乗って飛びたいとか、それを設計するエンジニアになりとかではない。
また、戦闘機が好きだからといって、別に兵器一般が好きというのでも、もちろん戦争がすきというのではない。
戦闘機は、いわば最先端のテクノロジーの結晶だ。その時代における、人間が作り出せる最高のフォルムがそこにはある。
究極に研ぎ澄まされた、そのフォルムにどんな芸術作品よりも、美を感じていたからということなのだと思う。今風の有体な表現をすれば、戦闘機オタクだったのだ。
しかし、大学を卒業し、地元の建設会社に就職した時に、戦闘機オタクも卒業した。
本棚いっぱいの航空機に関する書籍、雑誌は大学卒業後もしばらくはそのままだったが、あるとき、全て処分した。
戦闘機オタクを卒業し、本棚の書籍や雑誌を処分したといっても、オタク時代に仕込んだ知識まで、消え去るわけではない。
ゼロ戦は自分の中では、やはり世界に冠たる日本の誇りのままだった。ただ、ゼロ戦に関しては、一つの疑問がずっと残ったままだった。
それは、二次大戦が始まった頃のゼロ戦初期の頃のタイプと終戦の頃のゼロ戦には、性能の上でたいした改良がなされなかったのなぜかということだった。
その大きな原因だと考えられるのが、ゼロ戦のエンジンに、ずっと同じタイプのものが使われ続け、そのエンジンに見るべき改良や進歩がみられなかったことだ。
しかし、オタクを卒業した後は、そんな疑問もどうでもいいことになってしまっていた。