ゼロの神話5

「同盟国だったドイツからの技術援助は受けられなかったんですか。」
「ドイツからは、液冷式エンジンとか、ロケットエンジンに関する資料が潜水艦を使って送られてきたことがある。しかしその資料というのが、エンジンの写真が数枚だけで、寸法の入った図面などは入っていなかった。数枚の写真だけで、エンジンを作れってんだから、無茶な話さ。それでも、その写真を見て、われわれ技術者はこの部分はこうなんじゃないか、ああなんじゃないかと議論したうえで、何とかエンジンとして動くものを作り上げたさ。」
「写真を参考にしただけで、エンジンを作り上げたんですか。それはすごいことですね。」
「空技廠には、人材も資材も、ほとんどなんでもそろっていたからね。しかし、そうやってでっち上げたエンジンが激しい負荷のかかる戦闘機のエンジンとして、実用に耐えうるものになるはずがない。同盟国としてのドイツの援助っていったって、そんなものだったんだ。実験的な試行錯誤は戦前、戦中を通じてずっと行われていたが、先進欧米諸国との技術的格差は、縮まるどころか拡大していった。敵の実力を過小評価し、自分の実力は過大評価していたわけだ。高出力エンジンの開発をしなかったのではなく、それができるほど、日本の工業力はまだ、成熟していなかったのさ。」
ゼロ戦の機体設計は、非力なエンジンしか使えない状況で、強力なエンジンを装備した欧米の戦闘機と戦えるように、徹底した軽量化が図られている。
ゼロ戦の旋回性能や、航続距離の長さは、その軽量化がもたらした長所であったが、同時に、機体の剛性不足のための急降下能力不足や、被弾した時のもろさという欠点を生み出した。
欠点を補おうとすると、長所とされている点が失われてしまう。こうしたぎりぎりの設計だったゼロ戦に、将来性は初めからなかったのだ。
エンジンにこれといった進歩がなかったため、ゼロ戦を上回る後継機の出現もこれまたなく、終戦を迎えることになる。
中国の故事が元になった成句に「彼を知り、己を知らば百戦殆からず」というのがあるが、太平洋戦争開始時の日本は、この成句の真逆を行ったことになる。