夢は夜開く3

夢に色がついているかについて、個人差がずいぶんあることにはもう驚かなくなっていたころのこと。
別の英会話サークルで、夢の中で英語をしゃべることがあるかという話題になったことがある。
英語、とりわけ会話の勉強を続けているなら、夢の中でも英語でしゃべるようになってこそ一人前というような考え方が一部にあり、このことが話題になったわけだ。
話題に加わったメンバーの多くが否定的な回答をした。
夢の中でも英語が出てくるというのは、かなり長期間、英会話の勉強を続けていても、なかなか起きることではないことが分かる。
話題を振ったメンバーの中にAさんがいた。話題に積極的に加わらなかったのでどうしてかと思い、私が「Aさんはどう?」と聞いてみた。
すると、意外な答えが返ってきた。
Aさんによれば、自分の夢の中で、英語はおろか、日本語でしゃべることもない。夢の中に出てくる人物もすべて言葉を発することはないという。
この答えには驚くしかなかった。ついでながら、夢に色はついているかと聞くと、色はついていないという答え。
つまり、Aさんの夢はちょうどサイレント映画のような世界で、色のないイメージだけが移ろい行く世界なのだ。
サイレント映画なら、時折、字幕が出て、物語の進行が分かるが、それもないイメージだけだと、夢の中のストーリーはどう展開するのか、展開をどのように理解するのか、良く分からないが、ともかく、Aさんのみる夢はそういうものだということだった。
私が見る夢でも、人物が誰も登場しない夢は良く見るし、そうした場合、会話がまったくないわけだから、Aさんの見る夢と大差はない。
しかし、夢の中に誰かが登場する場合、その人物との会話のシーンも当然出てくるわけで、Aさんの場合、こうしたシーンでも、その人物はずっと押し黙ったままなのだ。
なんとも不気味な話だとそのときには思ったのだが、ある本を読んでいて気づいたのは、こうした無声映画のような夢を見る人は特に珍しいものではないようなのだ。