知性が大事#22

次の日の朝、まだ夜が明けないうちに同室の田中は、他の二人と車で出かけた。
この日、特に何の予定も立てていなかった私はゆっくり朝寝。ベッドから出たのはかなり遅かったように思う。
遅い朝食をとって、さて何をするか。武田荘にいても退屈なだけだから、管理人の武田氏に辺りに何か観光するのにいい場所はないかと尋ねた。
すると、これといったものはないが、かつて捕鯨が盛んだった頃、フリーマントル捕鯨船の基地で、その頃の捕鯨のための用具を展示した博物館があるという。
歩いてもいける場所だが、良かったら自転車を貸しているので、それを使えば直ぐに行けるという。
レンタル料もたいした額ではなかったので、借りることに。
武田氏から教わった道順をたどると、確かに直ぐに博物館、といってもそんなに立派な建物ではなく、博物館の周りにはもう使われなくなっていた捕鯨船の碇だの何だの、大型の捕鯨用具が雨ざらしになっていた。博物館の展示というより、放置された難破船という風情。
博物館は確か入場料を取っていたと思う。屋外に放置されたものを見ても、博物館内部にもたいした物はないだろうと思い、入場するかどうか迷っていると、そこへフリーマントルへの観光客の一団がやって来た。
一団はどうやら、オーストラリア国内ツアーの途中だったようで、日本と同じように、ガイドが団体の先頭に立ち、客を案内していた。
ガイドはもちろんプロなので、博物館の展示物の説明もするはずなので、団体の一番後ろについていくことにした。
一行はガイドについてゾロゾロと博物館に入っていく。博物館の内部には様々な展示品があった。
この博物館は何も捕鯨用品だけを展示しているのではなく、フリーマントルの歴史を物語る様々な遺品を展示する場所だった。
博物館のある一隅にやってくると、そこは二次大戦中の遺品が展示してあった。
遺品の説明パネルに旭日旗らしきものが描かれているのを見て、いやな予感がした。
第二次世界大戦では、オーストラリアも敵国のひとつだったことを知らない日本人が多いのではなかろうか。
日本人のほうはそんなことは考えもしないのだろうが、オーストラリア人、それも年配の人たちの中には、敵国だった日本に対して、いまだに悪感情を持つ人たちがいるというのは、以前にカタンニン高校でも警告されていた。
大戦時の遺品を前に、ガイドが説明を始めた。
説明の内容のすべてが理解できたわけではないが、明らかに日本という国、そしてそこの住民を思うさま悪し様にしたものだった。
時折、日本人を馬鹿にしたジョークを飛ばすと、これがツアー客には大うけ。彼らもまさか一行に日本人が紛れ込んでいるなどとは思いもしなかっただろう。
観光や、商取引では、大事な金づるの日本人には、表向き、友好的態度を取る彼らも、日本人がいないところでは、思い切り、馬鹿にしているのだ。
そんな場所に日本人が紛れ込んでいるとばれたらどうなるか。冷や汗が額やわきの下にじっとりと湧いてきた。
あわてて逃げ出すとかえって怪しまれる。冷や汗タラタラのまま、同じ場所にとどまり、博物館めぐりは程なく終わった。
博物館から外に出て、日の光を浴びたとき、どれほどほっとしたことか。
しかし、オーストラリア人の本音の姿を垣間見れて、それはそれでよかったと思った。