諸行無常

  • 2017年9月25日撮影


飼い犬のコロクが死んだ。これを書いているほんの数時間前のこと。14才2か月だった。
家にやってきたのは14年前の今日と同じ10月。名古屋のブリーダーさんのところで生まれたポメラニアンの子犬。
ブリーダーさんの家での初対面の時から人懐っこく、はじけるような元気な子だった。家に連れ帰り、用意したケージに入れたときのうれしさや興奮は今も覚えている。
これまでに飼った犬はコロク以前にも何頭かいたが、いずれも中型犬で一頭を除いて全部雑種。犬種のはっきりした小型犬はコロクが初めてだった。
室内で飼うのも初めて。トイレのしつけ、エサの与え方や量、散歩のさせ方などほとんどが初めてのことばかりだった。
しかし、それらのことを一つ一つこなしていく過程そのものがとても楽しかった。
小型犬の場合、それほどの距離を散歩させなくてもいいそうなのだが、そんなこととは知らず、のちに迷子犬として警察から引き取ったヒナを連れて、毎日長距離の散歩をしたものだった。
その距離、最長の時は約8km。これがほぼ5年間続いたのだから、自分でもよく歩いたものだと思う。
ペットとの別れはいつものことながら、悲しくつらい。そのペットとのいくつもの思い出が思い返される。
そしてこの別れ。この一年間で、たくさんの別れを経験した。
まずは去年の11月のこと。数年前に河川敷を散歩しているときに出会った白猫のシロ。トラップを仕掛けて捕獲して、結局しばらく家で飼うことになったのだが、様々な事情を経て、最終的に近所のお家で最期を迎えた。
次が今年の2月。野良犬の子供として生まれ、私が保護して飼っていた犬の一頭か突然死んだ。まだ8才で、前日まで元気にエサを食べていたのが、朝には犬小屋で冷たくなっていた。
あまりのことに頭が混乱して、しばらくはショックで立ちなおれなかった。
その次は家の犬ではないが、近所で飼われていた雑種犬が亡くなった。河川敷で拾ってきた子犬だったそうで、家で飼っている野犬の子との血のつながりが感じられる犬だった。
散歩に行くとき必ず、顔を見る犬だったので、姿が見えなくなることはやはり寂しい。
同じく散歩コースのお家のシュナウザー。まだ10才だったのに、ある病気の手術が原因で亡くなった。こちらも散歩のとき必ず顔を見ていたので突然いなくなったのには驚いた。
それから、5月には保護していたスズメとの別れ。死別とはまた違った悲しさがあった。
ここまでは動物たちとの別れ。
人との別れも突然にやってきた。
高齢者二人との別れ。いずれも男性としては平均寿命に達しておられたので、驚くにはあたらないのかもしれないが、ほんの数日前まで普通に顔を合わせ、特に病気とも見えなかった人が突然亡くなったと聞いて本当に驚いた。
そしてこの10月になってからのこと。近所に住んでいて宅配をしていた方が突然亡くなった。まだ50代半ばだったと思う。
私が通販をよく利用する関係で、その方が一週間に一度は家に品物を届けてくれていた。そのたびに少し話をする関係だったのが、ある日を境に突然顔を見せなくなった。
そして届いた訃報。近隣関係で不幸があった場合に自治会では訃報が回る。そこにあった名前を見て本当に驚いた。同性の別人ではないかと疑ったほどだ。
最近、タイトルの言葉が頭から離れない。人や動物の生き死にも諸行無常。若い世代との付き合いが全くないので、生き死にに関しては前者の情報は全く届かず、届くのは後者ばかり。だから、私にとってはこの言葉は常に、ある人、ある動物との別れを意味する。
諸行無常が私のまわりで渦巻いている。こちらがそれだけ年を取ったということなのだろう。