匂いフェチ

私には手にしたもの、手についた何かの匂いを嗅いでしまう癖がある。同じようなことを藤原正彦という数学者がある雑誌のエッセイで書いていた。
何でもクンクンしてしまう癖をこの人の妻は驚き、呆れて今はもう暖かく見守っているらしい。
私と同じ癖を持つ人がいることが、なんだかうれしく感じた。
私の場合、自分の体から出たものにはとりわけ執着が強く、ほとんどなんでもその匂いを嗅いでしまう。
ほとんどというのは、過小表現、ないほうが正しい。つまり何でもということ。
で、この記事を書いている少し前、久しぶりに臭い玉(においだま)が喉から飛び出てきた。多分10数年ぶり。
臭い玉というのを知っているだろうか。
喉の奥には食べ物のカスがたまりやすい、小さなくぼみがあり、そこに溜まったものを養分に口中の雑菌が繁殖しできたもの。それが臭い玉の正体。
出てきた臭い玉、そのままではたいして匂うわけではないが、これを指先でつぶして匂いを嗅ぐと実に臭い。
臭い玉とはよく名付けたもので、この名前からすると、私と同じ癖のある人は意外に多いのかもしれない。
今回出てきた臭い玉はかなり大きかった。直径は3mm近く。いつも通りこれを左手の人差し指と親指で押しつぶして、匂いを嗅いでみた。
ところが期待していたほどの強い匂いがない。
食べるものが変わったこと、歯磨きの後、さらに口中洗浄剤を使い、さらにそのあと、歯間ブラシを使って、歯間に溜まったカスを掻き出すという習慣をつけたことと関係あるかもしれない。
自分の体から出るものにはいろいろある。臭い玉の次は、耳垢。
人によりドライタイプとウェットタイプがあるらしいが、私はウェットタイプ。このタイプだと耳かきではうまく取り切れない。
ティシュペーパーを細長く丸めて、これを耳の穴にねじ込む。ねじ込んでぐるぐる回すと、その先に湿った耳垢がこびりついて出てくる。
そして、この先についたものの匂いを嗅ぐ。何とも形容しがたいにおいがする。そのたびになんでこんなものの匂いを嗅いでしまうのか自分でも不思議に思うのだが、自分と他人の区別を匂いでつける動物だったころの本能なのかもしれない。
耳垢の次は真打の登場。ご推察の通り、う〇こ。
私は便秘しやすい体質があり、タンニンを含んだものを食べたりすると、次の日が大変。
カチカチに固まって出るべきものが出なくなることがある。
そうした時には、トイレでいきんで、出てきたものの先っぽを指でつまんで掻き出すということをしなければ、出るものが出なくなる。
で、この時に汚れた指先の匂いを嗅いでしまうのだ。
先の数学者は、「自分には何でも匂いを嗅いでしまう癖がある」と書いていたが、私と同じように自分のう〇この匂いまで嗅ぐのだろうか。
嗅がないとしたら、この勝負、私の勝ちだ。(勝ってどうする?)
しかし世の中には上には上がある。人間ではない。
犬たちだ。犬の嗅覚は人間の一万倍だという。嗅覚の鋭い犬たちは、その鋭い嗅覚にもかかわらず、出会ったときの挨拶として、互いの肛門の匂いを嗅ぎあう。
肛門の少し奥には、臭腺というものがあり、ここから出る液の匂いの強さは臭い玉やう〇この比ではない。
この匂いで犬たちはそれぞれを区別し認識しているのだという。
犬は道端に落ちている他の犬のフンの匂いもよく嗅ぐ。それも鼻先が触れるほどに近寄って。
その匂いが人間が感じる一万倍も強いのだとしたら、想像しただけで、気絶しそうだ。
いくら匂いフェチの私でも、そんな嗅覚の強さは欲しくない。
ああ、犬に生まれなくてよかった。