英語公用語化論2

社内であれ、日本国全体であれ、英語を公用語化しようという考えの基本は、それにより、そこに属する人たちの英語の力を伸ばそうというものだろうが、それが幻想だというのは、有体に言うと、日本人にとって英語は、その程度の動機付けで実力が伸ばせるほど簡単な言語ではないということだ。
私は、さまざまな英語の勉強会や、サークル、クラブ等に所属してきたし、また現在継続中のサークル、勉強会も複数ある。
それぞれの勉強会、サークルに参加している人たちは、それぞれ年齢や職業を異にするが、共通するのは、英語の学習に関して熱心な人たちが圧倒的に多い点だ。
とりわけ、参加者の平均年齢の若いあるクラブの場合、クラブ員が所属する会社が社員に英語学習を奨励する場合が多いようで、それを受けて、英語の検定を受けたり、さまざまな機会を捉えて、いわゆるネイティブとのコミュニケーションを図ったりと、英語の力を向上させるのに、努力も金も惜しまない人が多数いる。
そのクラブの活動の一つに、週ごとにテーマを設け、そのテーマに関してクラブ員同士で英語で自由に話す、いわゆるフリーカンバセーションをするというのがある。
テーマを選ぶのは、その担当に当たったクラブ員の一人で、会話をスムーズに進めるため、テーマに関する質問項目をいくつか、英語または日本語で提示したものをプリントにして配るのだが、質問事項が英語で書かれている場合、その英語に誤りが多いことにがっかりさせられることが少なくない。
書かれた英語は、いわば止まっている英語で、後から間違いを発見して訂正することが容易に出来る。
英語の学習に熱心な人が多く、文法事項にも精通していそうな人が多いと思われるのに、その人たちの書く英語に間違いが多いのだ。書く英語がこれだから、話す英語はもっとひどい。(以下次回)