外来語2

カタカナ語のチャレンジ(する)は、日本語の挑戦(する)の同義語として使われる。「チャレンジ(する)」または「挑戦(する)」の実際の使用例を見てみる。
1. 番組では、極限に挑戦するアスリートたちの姿と競技の見所を紹介する。
2. このアルバムでは、新しい表現方法にチャレンジしました。
3. 昨年のW杯で敗れたドイツにチャレンジしたい。
4. 暴力による法秩序に対する挑戦は許せない。
「チャレンジ」は「挑戦」の同義語として使われるといったが、例文4のように否定的な内容に関しては、チャレンジは用いられず、もっぱら自らの成長、向上のために、より高度なものに向かっていく努力に関して使われる。
さて、上記四つの例文の内容を英語で表現するとして、challengeが使える場合があるかというと、これが一つもない。
例文3が一番使えそうだが、これも"We'd like to challenge the German team which defeated us in the World Cup tournament last year."とすると、元の日本語とは意味が若干ずれてしまっている。
日本語のチャレンジは先にも述べたように、自らを高めようとする時の努力を表す言葉として、向上心の強い日本人が大変好きな言葉だ。
一方、英語のchallengeは、その目的語の正当性、価値、存在意義を否定することで、否定的な意味が強い言葉なのだ。
次に引用するのは、日本在住期間の長い、ある米国女性が日本で出会った驚くべきのchallengeの使用例を書いたエッセーである。

先日、「もっと交通事故を起こしましょう!」と英語で書いた、大きなポスターを張ったトラックを見かけました。もちろん、そんなつもりではなかったのでしょうが、英語の意味は、まさにこの通りでした。
“Challenge Safe Driving for the 21st Century” (安全運転と戦って、事故の多い二十一世紀にしましょう!)というのですから、病院か自動車修理工場の広告かと思いました。
 わたしは思わず声を出して笑ってしまいました。何と不幸な間違いでしょう。でも、よく考えてみると、こうした誤った英語の使い方は、あちらこちらで見られます。
 日本人は努力するのが大好きです。情熱を傾けて努力します。ですから、いろいろなことに「挑戦(challenge)」したいのです。日本語の「挑戦する」には肯定的な意味があるようです。しかし、英語の動詞のchallengeは違います。
 このポスターで使われている動詞のchallengeは、何かに対し戦いを挑むこと、反抗することを意味しています。考えや人にチャレンジすることは、それらの真偽や価値、権威を疑うことです。アメリカ人は異議を唱えたり、戦いを挑んだりするのが好きなのです。
 ですから、ポスターには”Challenge Reckless Driving” (無謀運転と戦おう!)と書くべきでした。名詞のchallengeなら「新しく困難な、努力と決断を要すること」という意味がありますから、"The challenge is to drive safely"とすれば、「安全連転は挑戦です」と日本語の肯定的な意昧になります。(後略)

外来語である「チャレンジ」をどのような意味で使おうと、それは自由であろうが、日本語での使い方をそのまま英語にしたために、とんでもない意味を持った文になってしまった例である。
この例などは、まだ罪が軽い。
企業間の交渉や、果ては外交交渉の場にまで、間違ったchallengeの使い方が出てきたとしたら、笑い話では済まない。
ろくに英語が理解できないくせに、本当の英語ではない英語風の言葉を使いたがるのは日本人の悪い癖だ。