楽な道

庭のある場所に鉢植えのハナミズキを地植えにするため、大きな穴を掘った。その場所は、植物の生長には適さない粘土質の土壌なので、穴を掘った後には、別の土を入れた。
さて、穴を掘った時にでた工事現場などで使う手押し車一杯分の土をどうするか。
いつも犬の散歩に行く堤防には、雨が降った時に大きな水溜りになる場所がいくつかある。
そこで、要らなくなった土を水溜りの出来る場所に捨てることにした。そうすれば、雨の後、大きな水溜りのせいで、散歩しにくかった場所がなくなる。
堤防のその場所まで土を運んで、手のひらで地面が平らになるようにしていたら、堤防を猛スピードで走ってくる自転車が間近に迫っていることに気がついた。
あわてて、立ち上がり、堤防の端の方に寄ったところ、目の前を独特のデザインのヘルメット、サイクリング用の服装の上下で身を固めた少年が走り去った。
年のころは小学校3年か4年だろう。
少年の自転車が通り過ぎたので、再び作業に戻って、少し経ったとき、その自転車が戻ってきた。真剣な表情で、自分が走っているコースの真ん中にうずくまっていたオッサンがいかにも邪魔だという表情を目に浮かべた。
今しがた置いたばかりの砂利の混じった土の上に、二条のタイヤ痕を残して、自転車は通り過ぎた。
サイクリングにしてはえらく急いでいたな、戻ってきたのは何でだろうと思いながら、作業を続けていると、またも少年が乗った自転車が近づいてきた。
さっきの少年かと思ったが、よく見ると自転車も乗り手も違っていた。
今度の少年は、私の前を通り過ぎ、50mほど行ったところから、またこちらの方に戻ってくる。あわてて、道を譲る私。
自転車の競技か何かか。それにしては、Uターンする場所が違うななどと思いながら、再び堤防に置いた土をならす作業をしていたら、またも別の少年が自転車で。
今度は、少年がどこまで行ってUターンをするのかを見届けることにした。
三人目の少年は、私の立っている場所から、200m程離れた橋の橋脚まで行き、そこから戻ってきた。
その後、4人目、5人目と別々の少年が自転車に乗ってやってきた。
4人目の少年も私の前を通り過ぎて、少し行ったあたりからUターン。最後の5人目は、私の前を通り過ぎることなく、その手前70m辺りからUターンした。
どうやら、マウンテンバイク競技のためのトレーニングか何かなのだろう。コーチに指示され、指定された折り返し地点まで行って戻ってくるまでのタイムを計っていたのだと考えられる。
レーニングだとしたら、2人目、4人目、そして5人目の少年は指示された距離を走ってはいない。
コーチの目が届かないのをいいことに、短い距離しか走らない少年が5人中少なくとも3人。ずるいことをしても、当然のことながら、体を鍛えることはできない。
スポーツは人格の形成をも、目的とすることができるが、これでは、逆効果だろう。人生の早い時期から、楽な道を選ぶことを覚えてしまうからだ。
3人の少年がコーチの指示に従わずに、近道をしたと断定的に言うのも、少年野球チームのランニング練習で同じような光景を何度も見ているからだ。
練習の仕上げにやるランニングで、たぶん指示されたと思われるUターン場所の橋の下まで、ちゃんと達してからUターンする少年は少数派だ。
ズルをしたことを見咎めるものがいないと知るや、多くの少年は橋の下まで行かず、途中でUターンする。
コーチの一人がUターン場所で待ち構えていれば、ズルを防げるはずだが、そんな面倒なことはする気がないらしい。
私の住む地域は、小学生、中学生を対象にした全国体力測定の成績が全国でも相当に悪い。
ずるいやり方を許す隙を作っていることに気がつかないコーチと、その隙に乗じる少年たち。私の住む地域の体力測定値が全国平均並になることは今後もなさそうだ。