昭和な顔#1

いつも読んでいるブログに「南国の隅っこ」がある。家の中は人間の数より様々な動物の数のほうがはるかに多い。
そのブログのURLを貼り付けておく。
http://d.hatena.ne.jp/tierra_verde/
家との共通点も多く、最初にこのブログを発見してから、毎日様子をのぞいている。
そのブログで最近UPされたのが画像の3枚の写真。
タイトルはこの画像の女の子を顔のことではなく、その横に写っている雑種のワンコの顔のこと。
カラー写真が普及し始めた頃に撮られたものらしく、60年代半ばと推定される。
この頃の日本で飼われていた犬といえば、ほとんどが雑種犬。
日本犬と洋犬が混じったような特徴で、このワンコ、名前は見たとおりのクロだったそうで、命名の仕方もその当時、つまり昭和な香りに満ちている。
私がこの写真に注目したのは、クロが家にいるワンコたちの顔つきに良く似ているからだ。
いまや、飼い犬といえば、100パーセント近くペットショップまたは、ブリーダーから購入する、犬種のはっきりした純血種。
昭和な顔の雑種犬は、とりわけ都市部ではあまり見かけることが無い。
こうした昭和な顔のワンコが写った写真を見ると、私が小さかった頃のワンコの思い出がいやでも胸に去来する。
私が思い出す、昔のワンコの思い出は、そのいずれもがあまり楽しいものではない。
毒殺されてしまった最初の飼い犬。まだ3歳ぐらいだった私の胸にその最期はどうしようもなく無残なものとして今も目の奥に残っている。
二匹目の飼い犬は、フィラリアにかかってしまい、苦しんだ上に死んでしまった。
無知ゆえの感染で、このことは長く私を苦しませた。
この犬にあまり優しく接しなかったことも深い後悔の原因となった。
他にも、家にやって来て、しばらく住み着いていた、捨て犬と思しき犬にやさしくできなかったことをいまだに後悔している。
私が野犬の保護を決めたのには、こうした過去のいきさつが大いに関係していることは間違いない。
家とは違って、この画像のクロは、家族に大事にされていたのではないだろうか。
この写真を撮ったのは、最初の画像の女の子の父親だろう。父親にとって女の子がかわいくないわけが無い。
しかし、この画像の視点の中心は女の子ではなく、妻(だと思う)でもなく、その二人に寄り添うクロを含めた空間の中点付近にある。
このことは、この写真の撮影者が二人と一匹すべてを自分の家族とみなしていた証であろう。
三枚目の画像は、今度は二枚目の画像に写っている妻が、夫と自分の娘を写したものと推定される。
注目すべきは、この写真でも、犬のクロを含めた一体感が画像から感じられることだ。
夫だけでなく、この写真を撮った妻も犬のクロを家族の一員とみなしていたのだと思う。
こうした小さい頃の精神的環境は、画像の小さい女の子の心に、深くインプットされたに違いない。
ああ、私の小さい頃の犬の思い出とは何たる違い。
自分の小さい頃の犬とのかかわり方がこんな風だったら、今の私はやはり同じように、犬の保護活動をしていたのだろうか。
ひょっとすると、いやひょっとしなくても昭和な顔をしたワンコを保護することで、過去の自分のあまり楽しくない犬の思い出を、いくらかでも緩和しようとしているのかもしれない。