知性が大事37

日本が捕鯨を続けるために主張している論拠の一つが「伝統的食文化」だ。
ところが、欧米でのクジラ類に対する考え方に変化が起こったころから、南氷洋でのクジラの捕獲に規制がかかるようになり、日本でもこの規制のため、店頭から急速にクジラ肉は姿を消した。
これが確か70年代だったと思う。すると、クジラ肉を日本国民の多くが、簡単に食することのできた年月は30年間ほどにしかならない。長くとも40年間ぐらいだろう。
これをして「日本の伝統的食文化」といえるのか。ごく限られた僻地での伝統的食文化ではあっても,日本全体の伝統的食文化と主張するのは一種のごまかしだ。
曲の疑問はもっともである上、上記のような事情も考慮するとますます、捕鯨継続を擁護するのは難しくなる。
曲が私に対して投げつけた疑問に対して、私は何も答えなかった。私は日本が主張する論拠を弁護する立場だったので、曲の疑問が如何にもっともだと感じていても、これに同調するわけにはいかなかった。
私が黙り込んでしまったので、曲はそれ以上捕鯨問題について聞いては来なかった。
ところで、国際会議であるIWCの総会で、南氷洋での主に,シロナガスクジラマッコウクジラの捕獲に規制をかけた理由は,主にこれらの種類を絶滅させないというものだった。
日本人が分かっていないのは,絶滅を避けるために規制を行うというのは,欧米で浸透しつつあったクジラは特別だという,自分たちの考え方を推し進めるための一種の方便であるということだ。
もちろん、絶滅に瀕している種の場合は、それが第一の理由かもしれないが、それでは絶滅の恐れがなければ、捕っていいことになる。
しかし、クジラ類を特別視する彼らにしてみれば、クジラ類を殺すこと自体が倫理に反する行為なのだから,規制の最終目標はクジラ類全般を一頭たりとも殺させないためのいわば既成事実を積み重ねる一里塚として,「種の絶滅を避ける」が捕獲規制の論拠として挙げられているに過ぎない。
クジラ類を人間並みの知性ある動物として特別視する考え方がもっとも進んでいるのが,イギリスとオーストラリアだ。
これら両国では、クジラ類の肉を食べることはもちろん,自然にいるクジラ類を捕獲すること自体を認めていない。さらに、欧米でもまだ多くの国で行われている。人工繁殖させたイルカの展示や芸を仕込んでショーに仕立てることさえも止めた。
イギリスは、隣国フランスがまだ,イルカショーを継続していることを強く批判している。
クジラ類を特別視する程度には、欧米諸国間にも差があるということだろう。
ちなみに、欧米で特別視される動物はイルカを含むクジラ類だけではない。
以前から、ゾウを知能ある動物としてこれを特別視していたが,動物の生態などの研究が進むに連れ,チンパンジーやオランウータンなども特別視され始めている。
チンパンジーの中でもボノボは生息域が限られ、当然頭数もそれほど多くないので、これを特に保護しようとする研究者がいる。
ボノボに関しては次のサイトが参考になる。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2013/06/1147.html
https://en.wikipedia.org/wiki/Bonobo
幸い,ゾウ,チンパンジー、オランウータンの肉を食する文化は日本にないので、このことで欧米から攻撃されることはない。
しかし、ほんの少し前まで、象牙の輸入で日本は欧米諸国から鋭い批判を受け続けていた。
象牙の代替となる物質が発明されたことで,日本に入ってくる象牙は激減。欧米からの批判は、もっぱら中国が受けるようになっている。