切れる高齢者

今朝のNHKの番組、「あさイチ」で切れる高齢者というのをやっていた。
若い世代の人たちの振る舞いに切れて怒り出す高齢者が目立つというような内容だった。
確か、同じようなことが読売新聞の「発言小町」にも出ていたように思う。
その記事の発言の中に、切れるのは決まって男性だという指摘があったように思う。
このことで思い出すのは、今から20年以上前のことだと思うが、市営の駐輪場に行った時のこと。
料金は前払いで100円だった。入り口をちょっと入ったところに料金を支払う窓口があり、定年退職して、そこに再就職したと思しき高齢の男性がいた。
料金を払おうとして財布をあけてみると、小銭が全くない。あるのは千円札が何枚か。
千円札一枚を窓口に出したところ、件の高齢男性、突然怒り出した。
ここの料金は100円だとわかっているはずだ。なんで前もって小銭を用意しておかない。とのたまう。
その言い方が単なる上から目線などではなく、怒鳴り散らすといった様態。
私のすぐ前には同じように駐輪場にやってきた若い女性がいて、その女性はまだ料金を支払う前だったので窓口の前にいたが、私に対する怒鳴り声で、まるで自分が怒られたように体を縮こまらせた。
ブチ切れた老人にこちらもブチ切れるなどということはなく、言いたいように言わせておいて、「どうも申し訳ありません」と謝っておいた。
先の若い女性と自転車を置く場所を探しに駐輪場の奥に移動する際、この女性が私に「何もあんな言い方しなくてもいいのにね」と私に声をかけてくれた。
こういっては何だが、いい年をしたこの高齢者より、この時の若い女性の方が人間ができていると、その時思った。
それから時は流れて十数年、いまから3、4年前だと思うが、今度はホームセンターでの出来事。
売り場をうろうろして、買うものを探していた時のこと、店内にとどろくような怒声が料金カウンターの方から聞こえてきた。
聞くともなしに聞いていると、どうやら、欲しいものをカウンターの店員に告げたところ、担当のスタッフがその客の探しているものをなかなか見つけられず、ずいぶんカウンターのところで待たされてしまったらしい。
いわく、「いつまで待たせたら気が済むんだ。客を何だと思っているんだ。こんなことで商売ができると思っているのか云々」
自分の探していたものが見つかったので、それをかごに入れてカウンターに行くと、案の定怒鳴っているのは、定年を過ぎたと思われる高齢男性。
怒鳴り方が尋常ではなく、その怒鳴り声がどれほどほかの客に迷惑なことか、そんなことはお構いなし。延々と怒鳴り続けている。
このことから数年後、まるでデジャブのように、同じようなことが別のHCの料金カウンターで発生。またまた怒鳴っているのは高齢の男性。
で思ったのは、「最近のジジイは切れやすいのか」だった。しかし、冷静に件の3人の高齢者を思い返してみると、共通点があることに気が付いた。
その共通点とは、いずれの男性も、定年前には、それぞれの職場で上に立つ人間であったろうと思わせる雰囲気があったことだ。
職場では、かなり高い役職にあり、部下を従えていた。その部下たちに命令を下す立場。
それが定年後は何の役職もなく、命令できる相手もいない。下手すりゃそれぞれの家庭では、濡れ落ち葉だの、粗大ごみだのと邪魔者扱いされている可能性が高い。
さらに世の中は自分の若いころとは比較にならないほど変化の速度が速く、とてもその速度についていけない。
一昔前なら、蓄積した知識や経験から若い世代に物申せたのが、いまはそんな知識や経験など誰も敬意を払わない。
つまり、会社人間だった男性は定年後に様々な理由から、鬱々たる日常を送っていて、常に発火点寸前の心理状態にあるのだろう。
それで些細なことでも容易に切れる。そして日ごろの鬱憤を一気に晴らすべく、怒鳴り散らす。
怒鳴る相手は反論のできない立場にあるような人間が好都合。つまり、HCのレジ係など。
たいていは若い女性で、立場的に客に反論などできないし、暴力的反撃などもまずなかろうという判断が働くのだと思う。
私自身はというと、会社で働いていたのはほんの一年半。役職もつかなかったから、誰かに命令する立場にはなったことがない。
そのため、自分が、高齢者といわれる年齢に達したからといって、若い店員の態度に腹を立てるということもない。
むしろ、更年期を過ぎて、物の感じ方見方が変わって人間が丸くなったように思う。これは人間の攻撃性、よく言えば積極性を引き出すホルモン、テストステロンが出なくなったせいだと思っている。
怒鳴りまくる高齢男性、ひょっとすると、まだまだテストステロンでまくりの元気老人なのかもしれない。