日本人の英作文11

エッセイの続きの部分とその英訳は次の通り。

原文: 折られたその箸を引き取る立場のゴミ袋も喜んだろうかと気になりながら、至極日常的なマナーなのに、日本の有名人である出演者たちは、誰一人知る人はいなかったのも何だか不自然に思えた。
訳文: I was concerned that the garbage bag which received the snapped chopsticks was happy. It looked strange somehow that none of the Japanese celebrity attendants knew the very daily manners.

この部分、たった一文なのだが、英訳するのに実に厄介な要素を含んでいる。
気になる部分を挙げると次のようになる。
1. I was concerned that...この部分はI was worried thatに変えてもほぼ同じになる。さらに、I was afraidに変えても、それほど意味の変化はない。
I was afraidに変えると、気がつくかもしれないが、これらの表現は、that節の内容が起きてほしくないこと、不都合なことが来なければならない。
日本語では、起きてほしくないこと、不都合なことは言葉にすることを避ける傾向が著しい。たとえば、ある不安材料を日本語で表す場合、
「私は、彼が不合格になるのではと心配した。」
という表現より
「私は、彼が合格できるか心配だった。」
のほうをはるかに好む。
最初の文のような、起きてほしくないことをそのまま表現する日本人は、まずいない。
ところが、後の文を直訳してI was concerned that he would pass the test.とするとIにとって、heにテストに合格されては困ることを表している。
したがって、この部分のconcernedのそのままにするなら、that節を否定文にするか、happyをunhappyに変えなければならない。
2.was happy...1.よりはるかに厄介な部分だ。元の日本語を読んでも、何を言っているのか解釈が必要だ。
喜ぶのは、もとより人間あるいは、それに近い高等生物だけだ。ゴミ袋が喜ぶとはいったいどういうことなのか。
小さい女の子が自分が大事にしている人形やぬいぐるみを他人が粗末に扱ったりしたとき、その人形やぬいぐるみをまるで生きているもののように「…がかわいそう」と表現したりする。
擬人表現というより、いたいけないものへの共感が自分の大事にしている物にまで拡張されるためだろうが、この部分の表現もそれと同じ心性に基づくものなのか。
折られた箸は、その端がささくれている。そういう箸をゴミ袋に入れると、ささくれた部分が薄いビニール製のゴミ袋を簡単に突き破る。
ゴミ出しの日に、ゴミでパンパンに膨れたゴミ袋に、なるべくたくさんゴミを入れようとして、上から押さえたら、何かとがったものが中にあって、その部分がゴミ袋を突き破り、あまつさえそこから大きく裂けてしまうなどということがある。
これは非常に不愉快なことだ。
このことを女の子によくあるようなの心情、心性に基づいて表現したものというのが私の解釈だ。
英語では、解釈が必要な不明確な表現を好まない。ゴミ袋のような無生物を擬人化した表現も一般的ではない。
したがって、そうした表現をそのまま直訳した文は了解不能になる可能性が大だ。
かといって、先に述べた私の解釈を英語にするのは、問題がある。
というわけで、この部分、触らぬ神にたたりなしということで、1.で述べた訂正のみで他は何も変えないことにする。
ここで英訳問題をいくつか。
1. 私はこの先どうなるかが心配だ。
2. 私は息子が一人立ちしてやっていけるかが心配なんです。
3. 私は近い将来、日本でまた大きな地震が起きないか心配です。